2015年10月16日金曜日

【タシュクルガン】天国の村、タジクの家



トルファンの旅を終え、寝台列車を乗り継いで、これまたシルクロードのオアシスであるカシュガルという中国の西の果てに着いた僕は、ここでかなり体調を崩すことになった。トルファンと同じくウイグル人の町であるカシュガルでは有名な日曜バザールなどにも行ったが、いかんせん果てしのない下痢のため楽しめなかった。異国で米を買っておかゆを作るだけの無生産の日々であった。
そして僕はカシュガルからさらに西、google earthでは標高3,100mほどのタシュクルガンという村に、バスで向かうことにした。
(事前情報は「景色が良い」ぐらいであった。)

トルファン、カシュガル、タシュクルガンの位置関係。ほぼ中央アジアである


水色の線がカシュガル〜タシュクルガン間のバスのログ(雪山が見える)。赤い線がパキスタン国境。


約7時間、下痢におびえる僕の気持ちも知らずにひどい土煙をあげながら、バスはぐんぐん山を上っていく。運転手はタバコを吸いながら仕事をしていた。しかし車窓から見る景色は明らかに別世界で、山にきたという感じが僕を快復へと向かわせる。ラクダも歩いていた。

山は空気ががらりと変わるね



かわいいフタコブラクダが山道をゆく



タシュクルガンから少し行くとそこはもう中国-パキスタン国境である。中国の西の果て、当時の僕の日記には「案外簡単に来れてしまった」と書いてある。

ここタシュクルガンはウイグルではなく、「タジク」という人々の村である。どうやらイラン系の民族らしく、彼らもイスラム教徒。タジク語を話すが、文字はウイグル文字を使っているらしい。

タシュクルガンのメインロード


メインロードはきちんと整備されている。そして標高が高いので7月と言えど、夕方からは肌寒い。


ゲストハウスに荷物を置いて、宿でもらった地図に書いてあった「タジク族居住区」を目指して歩いていくことにした。(小さい村だが、ここでも中心部には漢民族が多いのか。)


□ここを天国と呼んでもいい




中心部から歩いて20分くらい、目の前にこんな景色が現れた。



一面の菜の花畑と、その向こうにそびえる山。天国とはこんなところなのかしらんと、気持ちよく歩く。気候も涼しく快適だ。
ここに暮らすタジク族は一体どんな家に住んでいるのだろう。



□家畜小屋を観察してみよう




家畜小屋を発見したので、手始めに観察してみることに。トルファンでぶどう干し小屋から民家のエッセンスを取り出せたのと同じようなことが起こらないとも限らない。




なんだか面白い作りだ。家畜はあいにく不在であったが、書いてみた。
(はたから見たら何と変な人間だったことだろう。家畜不在の家畜小屋の目の前に立ち、見つめ、スケッチしている異国の男が一人。)


非常にシンプルな平面の家畜小屋



壁の厚さは、ここが寒い土地であることを物語っている。



□タジクの家を発見




「寒さとどう闘うか」だなあ、と考えながら歩いているとタジクの家が見えてきた。


タジクの家スケッチ


おお、なんと石を積みまくっている!しかも、バラバラな大きさの石だ。
石積み丸出しの部分は家畜の家で、家はなにやらキレイに泥で塗って、トップに赤と黒の文様が描かれていた。
この家をぐるりとまわる動画を撮った。(風の音がすごい)






□ダンディと出会う




この家の前に流れている、山の雪解け水の川べりに腰掛けスケッチをしていると、一人のじいさんが話しかけてきた。その人こそ僕のタシュクルガンでの体験を素晴らしいものにしてくれたじいさん、通称"ダンディ"であった(顔も声もかなりダンディでかっこいいので)。

ダンディは僕のやりたいことをすべて悟ったように、言葉少なに家に招いてくれた。


ダンディの家、外観



こちらの家もさきほどのようにトップに赤と黒の文様がある。これはタジク族の文様だと聞いた。
部分的に日干しレンガも使われるが、基本こちらも石積みの壁であるようだった。


「ダンディの家」
築年数:3年前にここに移ってきたと言っていたので築3年かもしれない。
規模:平屋
構造:石積み、一部日干しレンガ、中にポプラの柱と梁
屋根:ポプラの陸屋根におそらく土


入ってみると、とても綺麗にしている。と共に、その壁の重厚さに圧倒される。

いくつかの部屋に通じる玄関的な空間


測ってみると壁厚が700mm(!)もあり、この地の冬場がいかに厳しいかがわかる。

全体平面図がこちら。


ダンディの家平面図。途中で石を書くのがめんどくさくなりましたがおそらくカベはすべて石です。



かまどのある白い部屋。



玄関的な空間を入ったさらに奥に通された。どうやらここが客間であり、最も手の込んだ部屋であるらしい。図面で一番充実している部屋。

奥の部屋、見上げる


一段あがったところに、祭壇のように天窓から光が注ぐ空間。これはウイグルの家で感じた「天上への指向」を感じずにはおれない。たしかにタジク族もイスラム教徒であるのだ…。装飾も凝っている。

「この部屋が最も大事なんだねえ」なんて伝わらないのに話しながら図面を書いているとダンディは「飯食ったか?」と聞いてくる。
「食ってない」と言うと若い女の人(孫?)を呼び、何やら伝える。
10分くらいして僕の目の前にはちょっと早いディナーがやってきた。ウイグルでもよく食べた「ラグメン」であった。

ふるまわれたラグメン


うどんぐらいの太さの麺にトマト、インゲン、羊肉などが入っているウイグルの定番料理

ありがとうありがとうとラグメンをすぐに平らげ、他の部屋を見せてもらう。



中心の部屋のとなりの部屋。部屋の半分が一段上がったベッドになっており、絨毯が敷かれている。


ダンディの寝室。柱が一本。



壁のでき方。玄関の扉の上。ポプラの上にさらに石が積まれているのがわかる。



□ダンディの家2




ダンディの家を見終わると、次はこっちだついてこいとダンディは菜の花畑を歩いていく。
この時の情景も映画のワンシーンのようにキマっていた。


菜の花畑を行くダンディ


「ここも俺の家だ」と言って、中から親戚らしき人が出てくる。
こちらは長居はしなかったものの、絨毯で埋め尽くされた装飾過剰な部屋が印象的。



壁にも絨毯をかける文化。冬でも暖かそう。



□ダンディの家3(遊牧民のパオ)




そしてさらにダンディは「車に乗れ」という。どこかに連れて行ってくれるようだ。
後方確認をするダンディもイケている。

タジク族の後方確認


余談だがくわえている煙草は自分で巻くやつで、運転中などの為にあらかじめ巻いておいたものを彼は帽子のツバの中にストックしていた。しびれるぞダンディ。


車で7分ほどで着いた場所は、もう一つの天国。そこは先程とガラリと変わる湿地帯であった。



ここはどうやら一部が景勝地として観光客に開かれ、通路がつくられている。行ったことないけど尾瀬ってこんな感じだったような。



湿地帯をグングンゆく。


奥に、遊牧民のパオ(ゲル)が見えた。ここでは今も遊牧民が暮らす。
そしてなんと第3のダンディの家がこのパオだったのである。

「ダンディの家3(パオ)」
築年数:不明。固定されない遊牧民の家なので新しいはず
規模:平屋
構造:太さ3cmの鉄パイプ
屋根:鉄パイプとテント




話を聞く限りでは、ダンディはこのパオに3年前まで住んでいて、3年前に今の石積みの家に移ったのだそうだ。
あまりに違ったタイプの家。その変化が信じられなかった。

タジクのパオ 平面図


テントの内側は絨毯が張ってあり、住めているのだから死ぬほどは寒くないのだろう。
部屋の半分がベッド、雑多な荷物は間仕切りとして絨毯を用いて隠していた。中心にストーブで暖をとる。




内部。天窓は開閉できる。ダンディの親戚が住んでいて、ミルクティーを淹れてくれた。ストーブの煙突は天窓から突き出る。

この「天窓」は、石積みの家のあの天窓と通ずるのだろうか…。





基礎には石が使われている。この石は石積みに使われるものと同じだろう。屋根のテントはロープで地面とつながっている。




どうして遊牧民のパオから、現在の石積みの家に変わったのか、それだけが大きな疑問となって残っていたが、それは今回の短い訪問だけではついにわからずじまいであった。


こうしてダンディによる3つの家案内が終了した。ほとんど言葉が通じないのに、すごく良くしてもらって感激であった。美しい村には、美しい人間が住むのだろう。


ダンディと僕



宿まで送ってくれた彼はさらに、「明日9時にうちに来い」と言って去っていった。


次回はそれについて。なんとタジク族の結婚式に呼ばれてしまいました。






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